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乙巳の変

蘇我入鹿首塚

甘樫丘のふもとで、飛鳥寺の西側に蘇我入鹿首塚といわれる五輪塔(密教の供養塔)があります。飛鳥板蓋宮(飛鳥宮跡)で暗殺された入鹿の首が、ここまで飛んできたという言い伝えがあります。 他に、斬られた入鹿の首が鎌足を追いかけたため、鎌足は多武峰ま...
乙巳の変

飛鳥宮跡

飛鳥宮跡(あすかきゅうせき)は蘇我入鹿が乙巳の変で中大兄皇子らに討たれた地です。従来は第35代皇極天皇の宮として伝飛鳥板蓋宮跡(でんあすかいたぶきのみやあと)という名称でした。 調査により、第34代舒明天皇の飛鳥岡本宮(あすかのおかもとのみ...
乙巳の変

石舞台古墳

石舞台古墳(いしぶたいこふん)は巨石30個を積み上げて作られた、一辺50メートルの方墳で、日本最大級の横穴式古墳です。元は土を盛りあげて作った墳丘で覆われていましたが、その土が失われ、巨大な石を用いた横穴式石室が露出しています。 古墳最大の...
乙巳の変

談山神社

談山神社(たんざんじんじゃ)の社号は、中大兄皇子と中臣鎌足が多武峰(とうのみね)の山中で蘇我入鹿討伐の談合を行い、のちに「談(かたら)い山」または「談所ヶ森(だんじょのもり)」と呼ばれたことに由来します。 鎌足の死後、長男で僧侶の定慧(じょ...
聖徳太子ゆかりの地

長楽寺

用明天皇2年(586年)厩戸皇子によって建立されたと伝えられる長楽寺(ちょうらくじ)。 境内には、厩戸皇子ゆかりの「鑑石(かんがみいし)」と名付けられた扁平な石があります。厩戸皇子が物部守屋を討伐した際、苦戦している状況の立て直しを図るため...
聖徳太子ゆかりの地

信貴山 朝護孫子寺

信貴山(しぎさん) 今からおよそ1400年前、厩戸皇子は物部守屋を討伐するため、河内稲村城へ向かう途中この山に至りました。皇子が戦勝の祈願をすると、天空に毘沙門天王が現れ必勝の秘法を授かりました。その日は奇しくも寅年、寅日、寅の刻でした。 ...
聖徳太子ゆかりの地

平隆寺跡(へいりゅうじあと)

平隆寺は、中世の法隆寺関係の文献の中で聖徳太子建立寺院四十六箇寺の一つとあり、古代豪族「平群氏」の氏寺で、厩戸皇子安息の寺でもあります。 河内に行く途中、厩戸皇子が犬に鹿が噛み殺されるところに遭遇し、その鹿の菩提を弔うために一堂を建てたとい...
聖徳太子ゆかりの地

籏尾池

金剛生駒紀泉国定公園内にある籏尾池(はたおいけ)は周囲約2km、面積6.6haの溜池で、二上山(にじょうさん)を眺望できる籏尾池湖畔として、奈良県の景観資産になっています。 厩戸皇子が農業用水確保のため一夜で掘られたという伝説から、農耕に欠...
聖徳太子ゆかりの地

達磨寺

達磨寺(だるまじ)は、奈良県北葛城郡王寺町にある臨済宗南禅寺派の寺院で、厩戸皇子と達磨大師の出会いからはじまったといわれます。片岡山飢人伝説と呼ばれる伝承の概要を「達磨寺」のウェブサイトから引用します。 『日本書紀』によると、推古天皇21年...
聖徳太子ゆかりの地

大安寺

大安寺は南都七大寺の1つにかぞえられる高野山真言宗のお寺です。厩戸皇子が平群郡に建立した「熊凝精舎(くまごりしょうじゃ)」が時代と共に移転し、国家筆頭の寺院として、百済大寺、高市大寺、大官大寺と名を変え、平城京遷都に伴って今の地に移りました...