2019-07

天武・持統天皇

本薬師寺跡(もとやくしじあと)

本薬師寺(もとやくしじ)は第40代天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒のために天武9年(680年)に発願し、天武天皇崩御(686年)後も第41代持統天皇によって建立されました。 平城京遷都に伴い、薬師寺は現在の西ノ京へ移さ...
天武・持統天皇

飛鳥京跡苑池

伝飛鳥板蓋宮跡(でんあすかいたぶきみやあと)を中心に、川原寺跡、飛鳥寺跡、飛鳥池工房遺跡など6世紀末から7世紀後半まで飛鳥の地に営まれた複数の遺跡からなる都市遺跡「飛鳥宮跡」。 飛鳥京跡苑池(あすかきょうあとえんち)は、第35...
天武・持統天皇

天武天皇・持統天皇陵(檜隈大内陵)

天武天皇・持統天皇陵(檜隈大内陵=ひのくまのおおうちのみささぎ)は野口王墓(のぐちおうのはか)とも呼ばれ、宮内庁により第40代天武天皇と第41代持統天皇の陵として治定されています。書紀には「大内陵」と記され、治定が信頼できる数少ない...
天武・持統天皇

束明神古墳(つかみょうじんこふん)

束明神古墳(つかみょうじんこふん)は春日神社の境内にあり、丘陵の尾根の南斜面に築造された7世紀、古墳時代末期の古墳です。出土した棺飾金具、鉄釘、土師器などから、天武天皇と持統天皇の子で、皇太子のままこの世を去った草壁皇子の墓の可能性...
壬申の乱

大坂山口神社(逢坂)

大坂山口神社は現在2カ所にあります。壬申の乱の際、大伴吹負(おおとものふけい)は、河内から侵攻する大友軍に備えて、数百人の軍兵を率いた佐味君宿那麻呂(さみのきみすくなまろ)を大阪の地に駐屯させました。 ご祭神 大山衹命(おお...
壬申の乱

大坂山口神社(穴虫)

古代大坂越えの大和から河内に至る入口に位置し、近世では長尾街道に面する交通の要衝に鎮座する大坂山口神社(穴虫)。創祀についてこちらのサイトから引用しました。 引用開始 日本書紀崇神天皇九年三月(380)、国中に疫病が蔓延した...
壬申の乱

千股池

壬申の乱で大伴吹負(おおとものふけい)の軍と壱伎史韓国(いきのふびとからくに)の軍が、「葦池」のほとりで戦ったとあります。千股池はその候補の一つされます。 現在は、奈良県景観資産に認定されています。池に映る二上山、春分、秋分の...
壬申の乱

河俣神社

河俣神社(かわまたじんじゃ)は、延喜式神名帳に記されている高市御県坐鴨事代主(たけちのみあがたにますかもことしろぬし)神社とされています。 高市社(たけちしゃ)に祀られる事代主神(ことしろぬしのかみ)と生霊神(いくみたまのかみ...
壬申の乱

村屋神社

三輪の大神神社の別宮とも言われる村屋神社(別名:村屋坐弥冨都比売(むらやにいますみふつひめ)神社)。 壬申の乱の最中、ここに祀られる村屋神(むらやのかみ)が神官を神がかりにして、大友軍が中ツ道から攻めてくるので防ぎ守るようにと...
壬申の乱

墨坂神社

大友軍に負けた大伴吹負(おおとものふけい)がほんの一、二騎のみとなって逃れ、この地で援軍と合流しました。さらにちりぢりになっていた兵士を呼び集めて、反撃の態勢を整えたのが墨坂神社とされています。また、崇神天皇の時代には疫病を鎮めるた...
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