天武天皇・持統天皇の足跡と藤原京遷都

女帝の功績で結ばれる日本書紀

7世紀末、飛鳥の北、大和三山を取り囲むようにして日本で最初の本格的な都が造営されました。中国の都城をお手本に、東西南北を碁盤の目のように区画する「条坊制」を採用した「藤原京」です。書紀には新益京(しんやくのみやこ)と記され、持統8年(694年)に遷都が行われたとされています。

藤原宮大極殿跡

藤原宮大極殿跡


第40代天武天皇が構想した新しい都の造営を推進したのが、天武天皇の皇后であった第41代持統天皇です。持統天皇は夫の崩御後に自ら天皇となって政務を引き継ぎ、国家の礎となる法令「飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)」の制定、戸籍の整備など、律令国家体制の整備を行いました。

持統天皇の諡は書紀に「高天原広野姫天皇(たかあまのはらひろのひめのすめらみこと)」とあります。この高天原とは「古事記」や「日本書紀」に登場する天上の神々の世界です。持統天皇が記紀神話と深いつながりがあることを述べようとしたのでしょうか。

書紀には夫との思い出の地、吉野へ30回以上も行幸したことや、天武天皇が妻の持統天皇の病気回復を祈って、薬師寺を建立したエピソードも記されています。そして、持統天皇が孫である軽皇子に譲位したという記載で「日本書紀」は結ばれています。

現在、特別史跡藤原宮跡の真南に、「檜隈大内陵(ひのくまのおおうちのみささぎ)」がひっそりとたたずんでいます。ここに、苦楽をともにした天武天皇・持統天皇夫婦は寄り添うように眠っています。

天武・持統天皇

龍田大社

二十二社(中七社)・旧官幣大社 龍田大社(たつたたいしゃ) 天武4年(675年)に、天武天皇が使者を派遣して「風神を龍田の立野に祀った」と書紀に記載がある古社です。 延喜式の「龍田風神祭祝詞」によれば、創建は第10代崇...
天武・持統天皇

廣瀬大社

二十二社(中七社)・旧官幣大社 廣瀬大社(ひろせたいしゃ) 佐保川、初瀬川、飛鳥川、曽我川、葛城川など、奈良盆地を流れる全ての川が合流する地に鎮座する廣瀬大社は、水田を潤す清浄な水の神である廣瀬大忌神(おおいみのかみ)を祀る...
天武・持統天皇

藤原宮跡(ふじわらのみやあと)

藤原宮は694年(持統8年)から710年(和銅3年)までの16年間、都城制を敷いた初めての都で、平城京に遷都されるまで日本の首都となりました。 史料では持統天皇4年(690年)に着工し、4年後に飛鳥浄御原宮から宮を遷した、とし...
天武・持統天皇

本薬師寺跡(もとやくしじあと)

本薬師寺(もとやくしじ)は第40代天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒のために天武9年(680年)に発願し、天武天皇崩御(686年)後も第41代持統天皇によって建立されました。 平城京遷都に伴い、薬師寺は現在の西ノ京へ移さ...
天武・持統天皇

飛鳥京跡苑池

伝飛鳥板蓋宮跡(でんあすかいたぶきみやあと)を中心に、川原寺跡、飛鳥寺跡、飛鳥池工房遺跡など6世紀末から7世紀後半まで飛鳥の地に営まれた複数の遺跡からなる都市遺跡「飛鳥宮跡」。 飛鳥京跡苑池(あすかきょうあとえんち)は、第35...
天武・持統天皇

天武天皇・持統天皇陵(檜隈大内陵)

天武天皇・持統天皇陵(檜隈大内陵=ひのくまのおおうちのみささぎ)は野口王墓(のぐちおうのはか)とも呼ばれ、宮内庁により第40代天武天皇と第41代持統天皇の陵として治定されています。書紀には「大内陵」と記され、治定が信頼できる数少ない...
天武・持統天皇

束明神古墳(つかみょうじんこふん)

束明神古墳(つかみょうじんこふん)は春日神社の境内にあり、丘陵の尾根の南斜面に築造された7世紀、古墳時代末期の古墳です。出土した棺飾金具、鉄釘、土師器などから、天武天皇と持統天皇の子で、皇太子のままこの世を去った草壁皇子の墓の可能性...
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