大和王権の強大な権力を巨大古墳で確認する旅

奈良盆地南東部で、日本列島を広く支配した大王(天皇)を中心とした王権が確立していきます。まさしく「やまとは国のまほろば」(やまとは国の中で最も優れている場所)です。その首長達が採用した墳墓の形が前方後円墳です。そこでは、遺体が安置されていただけでなく祭祀も行われていたとされています。

箸墓古墳全景

箸墓古墳 全景

これらの古墳は、現在のように、その上に木がうっそうと繁っていたわけではありません。作られた当初は、風や雨によって盛り土が流出するのを防ぐなどのため、葺石(ふきいし)というこぶし大の大きさの石を墳丘の斜面にきっちりと並べていました。当時の権力者は墳墓をより巨大に、立派に作ることで自分の権力を示そうとしたとされています。

初期の大和王権は、この三輪山周辺を中心に展開したと考えられています。その当時の天皇である第10代崇神天皇や第11代垂仁天皇、第12代景行天皇にゆかりのある場所を巡ってみようと思います。

大和王権と巨大古墳

宝来山古墳(垂仁天皇陵)

宝来山古墳は、宮内庁により第11代垂仁天皇の陵墓に定められている前方後円墳。古墳時代前期4世紀後半頃に作られたといわれています。前方部を南方に向けて墳丘は3段築成。墳丘の長さは227メートルで、全国で第20位の規模になります。(24...
大和王権と巨大古墳

糸井神社

境内にある案内から引用します。 この神社は、約千年前の「延喜式」という書物に糸井(神)社として記されている由緒ある古社で、 祭神は名称のとおり糸に関係する綾羽・呉羽が主神であるとされている。境内には本殿・拝殿・宝庫などがあ...
大和王権と巨大古墳

行燈山古墳(崇神天皇陵)

行燈山古墳(あんどんやまこふん)は「山辺道勾岡上陵(やまのべのみちのまがりのおかのうえのみささぎ)」として、宮内庁により第10代崇神天皇の陵墓に治定されています。古墳時代前期(4世紀前半)ころ作られたとされる前方後円墳。墳丘の長さが...
大和王権と巨大古墳

渋谷向山古墳(景行天皇陵)

渋谷向山古墳(しぶたにむかいやまこふん)は「山辺道上陵(やまのべのみちのえのみささぎ、山邊道上陵)」として宮内庁より第12代景行天皇の陵に治定されています。古墳時代前期後半(4世紀後半頃)の築造と推定される前方後円墳。墳丘の長さは3...
大和王権と巨大古墳

相撲神社

日本書紀によると(第11代)垂仁天皇7年7月7日に野見宿禰(のみのすくね)と当麻蹶速(たいまのけはや)が力比べをして、宿禰が当麻蹶速を倒したとあります。これが相撲の始まりとされ、二人がここで戦ったと記されています。 相撲神社は...
大和王権と巨大古墳

箸墓古墳

「大市墓(おおいちのはか)」として第7代孝霊天皇皇女の倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の墓に治定されている古墳です。墳丘長は278mで、全国で第11位、奈良県では第3位の規模を誇る前方後円墳です。 日本書紀の...
大和王権と巨大古墳

大直禰子神社(若宮社)

「おおたたねこじんじゃ」と読みます。大神神社(おおみわじんじゃ)の摂社で「若宮さん」として知られています。祭神の大直禰子命(おおたたねこのみこと)は大物主神の子で、少彦名命(すくなひこなのみこと)と活玉依姫命(いくたまよりひめのみこ...
大和王権と巨大古墳

大神神社(おおみわじんじゃ)

ご祭神の大物主大神(おおものぬしのおおかみ)がお山に鎮まるために、本殿は設けずに拝殿の奥にある三ツ鳥居を通して三輪山を拝するという原初の神祀りの様を伝える我が国最古の神社です。 書紀では大国主命の国造りの際、海から光りながらや...
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