奈良盆地南東部で、日本列島を広く支配した大王(天皇)を中心とした王権が確立していきます。まさしく「やまとは国のまほろば」(やまとは国の中で最も優れている場所)です。その首長達が採用した墳墓の形が前方後円墳です。そこでは、遺体が安置されていただけでなく祭祀も行われていたとされています。
これらの古墳は、現在のように、その上に木がうっそうと繁っていたわけではありません。作られた当初は、風や雨によって盛り土が流出するのを防ぐなどのため、葺石(ふきいし)というこぶし大の大きさの石を墳丘の斜面にきっちりと並べていました。当時の権力者は墳墓をより巨大に、立派に作ることで自分の権力を示そうとしたとされています。
初期の大和王権は、この三輪山周辺を中心に展開したと考えられています。その当時の天皇である第10代崇神天皇や第11代垂仁天皇、第12代景行天皇にゆかりのある場所を巡ってみようと思います。