日本書紀の旅 史跡編

記紀編纂功労者

太安万侶墓

1979年(昭和54年)奈良市郊外の茶畑から奈良時代の火葬墓が発見されました。この墓は、木櫃(もくひつ)の下に置かれていた銅板墓誌から「古事記」の編纂者・太安万侶の墓と判明し、当時の新聞を賑わせました。 副葬品として真珠も見つかり、銅板の墓...
記紀編纂功労者

平城宮跡

第43代元明天皇は710年(和銅3年)藤原京から平城京に遷都しました。その北端中央におかれた平城宮には、天皇のお住まいである内裏(内廷)や、儀式を行う朝堂院、官公庁などが集まっていました。 平城宮跡(へいじょうきゅうせき)は1998年に「古...
天武・持統天皇

藤原宮跡(ふじわらのみやあと)

藤原宮は694年(持統8年)から710年(和銅3年)までの16年間、都城制を敷いた初めての都で、平城京に遷都されるまで日本の首都となりました。 史料では持統天皇4年(690年)に着工し、4年後に飛鳥浄御原宮から宮を遷した、としていますが、近...
天武・持統天皇

本薬師寺跡(もとやくしじあと)

本薬師寺(もとやくしじ)は第40代天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒のために天武9年(680年)に発願し、天武天皇崩御(686年)後も第41代持統天皇によって建立されました。 平城京遷都に伴い、薬師寺は現在の西ノ京へ移され、移建後は区...
天武・持統天皇

飛鳥京跡苑池

伝飛鳥板蓋宮跡(でんあすかいたぶきみやあと)を中心に、川原寺跡、飛鳥寺跡、飛鳥池工房遺跡など6世紀末から7世紀後半まで飛鳥の地に営まれた複数の遺跡からなる都市遺跡「飛鳥宮跡」。 飛鳥京跡苑池(あすかきょうあとえんち)は、第35代皇極天皇(重...
天武・持統天皇

天武天皇・持統天皇陵(檜隈大内陵)

天武天皇・持統天皇陵(檜隈大内陵=ひのくまのおおうちのみささぎ)は野口王墓(のぐちおうのはか)とも呼ばれ、宮内庁により第40代天武天皇と第41代持統天皇の陵として治定されています。書紀には「大内陵」と記され、治定が信頼できる数少ない古墳の一...
天武・持統天皇

束明神古墳(つかみょうじんこふん)

束明神古墳(つかみょうじんこふん)は春日神社の境内にあり、丘陵の尾根の南斜面に築造された7世紀、古墳時代末期の古墳です。出土した棺飾金具、鉄釘、土師器などから、天武天皇と持統天皇の子で、皇太子のままこの世を去った草壁皇子の墓の可能性がありま...
壬申の乱

千股池

壬申の乱で大伴吹負(おおとものふけい)の軍と壱伎史韓国(いきのふびとからくに)の軍が、「葦池」のほとりで戦ったとあります。千股池はその候補の一つされます。 現在は、奈良県景観資産に認定されています。池に映る二上山、春分、秋分の日前後には雄岳...
壬申の乱

宮滝遺跡

宮滝遺跡(みやたきいせき)は近年の発掘調査で、飛鳥時代から奈良時代にかけてあったとされる吉野宮の跡と考えられています。 吉野宮は第35代斉明天皇が造った離宮で、大海人皇子(後の第40代天武天皇)が大津京から逃れ、後に挙兵する壬申の乱の起点と...
乙巳の変

山田寺跡

蘇我馬子の孫で蘇我蝦夷は叔父、蘇我入鹿とは従兄弟という蘇我一族でありながら、乙巳の変で中大兄皇子側についた蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらやまだ の いしかわまろ)が創建した寺の跡地です。 昭和50年(1975年)に国有地化された山田寺跡の発...