日本書紀の旅 お寺編

記紀編纂功労者

興福寺

興福寺(こうふくじ)の前身は山背国の「山階(やましな)寺」。藤原鎌足の重い病の回復を願い、妻の鏡の大王(かがみのおおきみ)が天智8年(669年)に建立しました。 壬申の乱のあと都が大津から飛鳥に移ると、厩坂(うまやさか)の地に移建。さらに和...
記紀編纂功労者

十輪寺

奈良市中心部からバスで東南東に進むことおよそ30分。標高400から500m、昔ながらの山里風景が広がる田原地区があります。古くは奈良から伊勢へ抜ける交通の要地であり、十輪寺(じゅうりんじ)はこの地区の中心的な大寺として栄えていました。 今は...
記紀編纂功労者

松尾寺

矢田丘陵の南端近くにある松尾山の中腹に位置する松尾寺。「まつのおでら」「まつのおさん」などとも呼ばれます。 慶長11年(1606年)成立の『厄攘(やくよけ)観音来由記』、延宝4年(1676年)成立の『松尾寺縁起』等によると、「日本書紀」を第...
記紀編纂功労者

法華寺

平城宮跡と隣接する法華寺町。町名の由来となった法華寺(ほっけじ)のある場所は、もともと書紀編纂に深く関わったという説がある藤原不比等の邸宅でした。 不比等の没後(720年)、娘の光明皇后(第45代聖武天皇の皇后)がこれを相続して皇后宮としま...
壬申の乱

金福寺

吉野には大海人皇子が隠れたという場所がいくつかありますが、その一つとされるのが現在の金福寺(こんぷくじ)がある場所。 「金福寺縁起絵巻」には大海人皇子が吉野に出家する際、柴の庵に住む老婆に匿われて大友皇子の追っ手から逃れることができたと記さ...
乙巳の変

飛鳥寺

書紀によると飛鳥寺(あすかでら)は、法興寺(飛鳥寺)は用明天皇2年(587年)に仏教を保護する蘇我馬子が建立を発願し、推古天皇4年(596年)に日本初の本格的寺院として完成しました。 乙巳の変以降、滅亡した蘇我本宗家の氏寺から官寺的性格をも...
聖徳太子ゆかりの地

長楽寺

用明天皇2年(586年)厩戸皇子によって建立されたと伝えられる長楽寺(ちょうらくじ)。 境内には、厩戸皇子ゆかりの「鑑石(かんがみいし)」と名付けられた扁平な石があります。厩戸皇子が物部守屋を討伐した際、苦戦している状況の立て直しを図るため...
聖徳太子ゆかりの地

信貴山 朝護孫子寺

信貴山(しぎさん) 今からおよそ1400年前、厩戸皇子は物部守屋を討伐するため、河内稲村城へ向かう途中この山に至りました。皇子が戦勝の祈願をすると、天空に毘沙門天王が現れ必勝の秘法を授かりました。その日は奇しくも寅年、寅日、寅の刻でした。 ...
聖徳太子ゆかりの地

平隆寺跡(へいりゅうじあと)

平隆寺は、中世の法隆寺関係の文献の中で聖徳太子建立寺院四十六箇寺の一つとあり、古代豪族「平群氏」の氏寺で、厩戸皇子安息の寺でもあります。 河内に行く途中、厩戸皇子が犬に鹿が噛み殺されるところに遭遇し、その鹿の菩提を弔うために一堂を建てたとい...
聖徳太子ゆかりの地

達磨寺

達磨寺(だるまじ)は、奈良県北葛城郡王寺町にある臨済宗南禅寺派の寺院で、厩戸皇子と達磨大師の出会いからはじまったといわれます。片岡山飢人伝説と呼ばれる伝承の概要を「達磨寺」のウェブサイトから引用します。 『日本書紀』によると、推古天皇21年...