飛鳥宮跡

飛鳥宮跡

飛鳥宮跡(あすかきゅうせき)は蘇我入鹿が乙巳の変で中大兄皇子らに討たれた地です。従来は第35代皇極天皇の宮として伝飛鳥板蓋宮跡(でんあすかいたぶきのみやあと)という名称でした。

調査により、第34代舒明天皇の飛鳥岡本宮(あすかのおかもとのみや)や、第37代斉明天皇の後飛鳥岡本宮(のちのあすかのおかもとのみや)、第40代天武天皇と第41代持統天皇の飛鳥浄御原宮(あすかのきよみがはらのみや)など、複数の宮が継続的に置かれていたことが判明、平成28年(2016年)に名称が「飛鳥宮跡」に改められました。

現在飛鳥宮跡といえば復元されている石敷広場や大井戸跡をさすのが一般的で、飛鳥浄御原宮のものになります。

高市郡明日香村岡
0742-22-1101(奈良県)
近鉄吉野線飛鳥駅よりバス約20分「岡天理教前」バス停下車


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