天武天皇・持統天皇陵(檜隈大内陵=ひのくまのおおうちのみささぎ)は野口王墓(のぐちおうのはか)とも呼ばれ、宮内庁により第40代天武天皇と第41代持統天皇の陵として治定されています。書紀には「大内陵」と記され、治定が信頼できる数少ない古墳の一つです。
墳丘は東西約58m、南北45m、高さ約9mの円墳ですが、鎌倉時代の記録である「阿不幾乃山陵記(あふきのさんりょうき)」によれば、本来は八角形の形状をもつといわれています。
また同記録には内部の様子も記され、横穴式石室の中には格狭間の金銅製の棺台があり、その上には夾紵棺が乗せられており、またその横には金銅製の桶(蔵骨器か?)が置かれていたとしています。
日本書紀等の記録によれば、持統天皇は死後天皇として初めて火葬に付されたという記録もあり、おそらく天武天皇は土葬だったと思われるので、古墳の中の状況と一致していることになります。
高市郡明日香村野口
0744-22-3338(宮内庁書陵部畝傍陵墓監区事務所)
近鉄吉野線飛鳥駅よりバス5分「天武・持統陵」バス停下車
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