日本書紀の旅 史跡編

乙巳の変

甘樫丘

甘樫丘(あまかしのおか)は、当時権力を持っていた蘇我蝦夷と入鹿の父子が、宮門(みかど)とよばせた邸宅を築いたところと書記に記されています。2007年の発掘調査で、7世紀前半から中頃のものと見られる建物跡や石垣を発見したと発表され、書紀の記述...
乙巳の変

蘇我入鹿首塚

甘樫丘のふもとで、飛鳥寺の西側に蘇我入鹿首塚といわれる五輪塔(密教の供養塔)があります。飛鳥板蓋宮(飛鳥宮跡)で暗殺された入鹿の首が、ここまで飛んできたという言い伝えがあります。 他に、斬られた入鹿の首が鎌足を追いかけたため、鎌足は多武峰ま...
乙巳の変

飛鳥宮跡

飛鳥宮跡(あすかきゅうせき)は蘇我入鹿が乙巳の変で中大兄皇子らに討たれた地です。従来は第35代皇極天皇の宮として伝飛鳥板蓋宮跡(でんあすかいたぶきのみやあと)という名称でした。 調査により、第34代舒明天皇の飛鳥岡本宮(あすかのおかもとのみ...
乙巳の変

石舞台古墳

石舞台古墳(いしぶたいこふん)は巨石30個を積み上げて作られた、一辺50メートルの方墳で、日本最大級の横穴式古墳です。元は土を盛りあげて作った墳丘で覆われていましたが、その土が失われ、巨大な石を用いた横穴式石室が露出しています。 古墳最大の...
聖徳太子ゆかりの地

平隆寺跡(へいりゅうじあと)

平隆寺は、中世の法隆寺関係の文献の中で聖徳太子建立寺院四十六箇寺の一つとあり、古代豪族「平群氏」の氏寺で、厩戸皇子安息の寺でもあります。 河内に行く途中、厩戸皇子が犬に鹿が噛み殺されるところに遭遇し、その鹿の菩提を弔うために一堂を建てたとい...
聖徳太子ゆかりの地

籏尾池

金剛生駒紀泉国定公園内にある籏尾池(はたおいけ)は周囲約2km、面積6.6haの溜池で、二上山(にじょうさん)を眺望できる籏尾池湖畔として、奈良県の景観資産になっています。 厩戸皇子が農業用水確保のため一夜で掘られたという伝説から、農耕に欠...
聖徳太子ゆかりの地

土舞台

日本芸能発祥に地といわれる土舞台(つちぶたい)。厩戸皇子がこの地で日本初の国立演劇研究所を設けたことに由来しています。 書紀によると、推古20年(620年)中国南部の呉(くれ)で伎楽(くれがく)の舞を習得し、百済から帰国した味摩之(みまし)...
最古の官道

二上山

二上山(にじょうざん)は大阪と奈良の県境にあり雄岳と雌岳の二峰からなり、古来から極楽浄土の入り口と考えられている神聖な山です。 北側の雄岳山頂には、謀反の疑いをかけられて自害した天武天皇の息子、大津皇子(おおつのみこ)の墓があり、姉の大来皇...
最古の官道

大中公園

古代の幹線道路横大路沿いにある大中公園(おおなかこうえん)。園内には、ブランコやすべり台などの子供向きの遊具がそろっていて、子供連れに人気のスポットです。また、園内の池の上には本格的な能舞台が備えられています。 大中公園は別名を「高田千本桜...
最古の官道

八木札の辻 (やぎふだのつじ)

奈良盆地を南北に走る古道「下ツ道」と東西に走る「横大路」の交差点が「八木札の辻」です。江戸時代中期以降、この界隈は伊勢参りや大峰山(おおみねさん)への参詣巡礼の要所として賑わいました。周辺には江戸時代の旅籠(はたご)「東の平田家(ひがしのひ...