日本書紀の旅 神社編

記紀編纂功労者

春日大社

二十二社(上七社)・旧官幣大社 春日大社(かすがたいしゃ) 中臣氏(のちの藤原氏)の氏神を祀るために創設された春日大社。全国におよそ3000社ある春日神社の総本社です。 社伝では、神護景雲2年(768年)に藤原永手(ふ...
記紀編纂功労者

多神社

正式名称は多坐弥志理都比子神社(おおにますみしりつひこじんじゃ)といい、一般的に多神社(おおじんじゃ)と呼ばれ、多社、多坐神社、太社、意富社とも書かれます。記紀神話では「神八井耳命は皇位を弟に譲り、自らは神祇を祭る」とあり、創祀とし...
記紀編纂功労者

小杜神社

周辺に数多く鎮座する多神社の境外摂社の一つ。多神社の南およそ200mに鎮座し、太安万侶を祀っています。鎮座地の字から「木ノ下社」とも称される神社で、式内社・小社神命神社に比定されている古社。拝殿などはなく立派な祠だけの境内には、「古...
記紀編纂功労者

賣太神社

賣太神社(めたじんじゃ)は「古事記」を詠み習わせた稗田阿礼を祀る神社です。稗田は天鈿女命を祖とする猿女君稗田氏の本拠地であり、祖先の廟祠として推古朝時代までには創建されたものとみられます。 かつてこの神社は平城京の羅城門付近に...
天武・持統天皇

龍田大社

二十二社(中七社)・旧官幣大社 龍田大社(たつたたいしゃ) 天武4年(675年)に、天武天皇が使者を派遣して「風神を龍田の立野に祀った」と書紀に記載がある古社です。 延喜式の「龍田風神祭祝詞」によれば、創建は第10代崇...
天武・持統天皇

廣瀬大社

二十二社(中七社)・旧官幣大社 廣瀬大社(ひろせたいしゃ) 佐保川、初瀬川、飛鳥川、曽我川、葛城川など、奈良盆地を流れる全ての川が合流する地に鎮座する廣瀬大社は、水田を潤す清浄な水の神である廣瀬大忌神(おおいみのかみ)を祀る...
壬申の乱

大坂山口神社(逢坂)

大坂山口神社は現在2カ所にあります。壬申の乱の際、大伴吹負(おおとものふけい)は、河内から侵攻する大友軍に備えて、数百人の軍兵を率いた佐味君宿那麻呂(さみのきみすくなまろ)を大阪の地に駐屯させました。 ご祭神 大山衹命(おお...
壬申の乱

大坂山口神社(穴虫)

古代大坂越えの大和から河内に至る入口に位置し、近世では長尾街道に面する交通の要衝に鎮座する大坂山口神社(穴虫)。創祀についてこちらのサイトから引用しました。 引用開始 日本書紀崇神天皇九年三月(380)、国中に疫病が蔓延した...
壬申の乱

河俣神社

河俣神社(かわまたじんじゃ)は、延喜式神名帳に記されている高市御県坐鴨事代主(たけちのみあがたにますかもことしろぬし)神社とされています。 高市社(たけちしゃ)に祀られる事代主神(ことしろぬしのかみ)と生霊神(いくみたまのかみ...
壬申の乱

村屋神社

三輪の大神神社の別宮とも言われる村屋神社(別名:村屋坐弥冨都比売(むらやにいますみふつひめ)神社)。 壬申の乱の最中、ここに祀られる村屋神(むらやのかみ)が神官を神がかりにして、大友軍が中ツ道から攻めてくるので防ぎ守るようにと...
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