蘇我入鹿

乙巳の変

入鹿神社

全国でただ一つ蘇我入鹿を祀る神社です。明治時代に、皇国史観に基づいて神武天皇を祀る橿原神宮の近くに、逆臣である蘇我入鹿を神として祀るのは都合が悪いとして、社名を地名からとった「小綱神社」に改めるように政府から言われましたが、地元の人はそれを...
乙巳の変

山田寺跡

蘇我馬子の孫で蘇我蝦夷は叔父、蘇我入鹿とは従兄弟という蘇我一族でありながら、乙巳の変で中大兄皇子側についた蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらやまだ の いしかわまろ)が創建した寺の跡地です。 昭和50年(1975年)に国有地化された山田寺跡の発...
乙巳の変

甘樫丘

甘樫丘(あまかしのおか)は、当時権力を持っていた蘇我蝦夷と入鹿の父子が、宮門(みかど)とよばせた邸宅を築いたところと書記に記されています。2007年の発掘調査で、7世紀前半から中頃のものと見られる建物跡や石垣を発見したと発表され、書紀の記述...
乙巳の変

飛鳥寺

書紀によると飛鳥寺(あすかでら)は、法興寺(飛鳥寺)は用明天皇2年(587年)に仏教を保護する蘇我馬子が建立を発願し、推古天皇4年(596年)に日本初の本格的寺院として完成しました。 乙巳の変以降、滅亡した蘇我本宗家の氏寺から官寺的性格をも...
乙巳の変

蘇我入鹿首塚

甘樫丘のふもとで、飛鳥寺の西側に蘇我入鹿首塚といわれる五輪塔(密教の供養塔)があります。飛鳥板蓋宮(飛鳥宮跡)で暗殺された入鹿の首が、ここまで飛んできたという言い伝えがあります。 他に、斬られた入鹿の首が鎌足を追いかけたため、鎌足は多武峰ま...
乙巳の変

飛鳥宮跡

飛鳥宮跡(あすかきゅうせき)は蘇我入鹿が乙巳の変で中大兄皇子らに討たれた地です。従来は第35代皇極天皇の宮として伝飛鳥板蓋宮跡(でんあすかいたぶきのみやあと)という名称でした。 調査により、第34代舒明天皇の飛鳥岡本宮(あすかのおかもとのみ...