明日香村

天武・持統天皇

飛鳥京跡苑池

伝飛鳥板蓋宮跡(でんあすかいたぶきみやあと)を中心に、川原寺跡、飛鳥寺跡、飛鳥池工房遺跡など6世紀末から7世紀後半まで飛鳥の地に営まれた複数の遺跡からなる都市遺跡「飛鳥宮跡」。 飛鳥京跡苑池(あすかきょうあとえんち)は、第35代皇極天皇(重...
天武・持統天皇

天武天皇・持統天皇陵(檜隈大内陵)

天武天皇・持統天皇陵(檜隈大内陵=ひのくまのおおうちのみささぎ)は野口王墓(のぐちおうのはか)とも呼ばれ、宮内庁により第40代天武天皇と第41代持統天皇の陵として治定されています。書紀には「大内陵」と記され、治定が信頼できる数少ない古墳の一...
乙巳の変

甘樫丘

甘樫丘(あまかしのおか)は、当時権力を持っていた蘇我蝦夷と入鹿の父子が、宮門(みかど)とよばせた邸宅を築いたところと書記に記されています。2007年の発掘調査で、7世紀前半から中頃のものと見られる建物跡や石垣を発見したと発表され、書紀の記述...
乙巳の変

飛鳥寺

書紀によると飛鳥寺(あすかでら)は、法興寺(飛鳥寺)は用明天皇2年(587年)に仏教を保護する蘇我馬子が建立を発願し、推古天皇4年(596年)に日本初の本格的寺院として完成しました。 乙巳の変以降、滅亡した蘇我本宗家の氏寺から官寺的性格をも...
乙巳の変

蘇我入鹿首塚

甘樫丘のふもとで、飛鳥寺の西側に蘇我入鹿首塚といわれる五輪塔(密教の供養塔)があります。飛鳥板蓋宮(飛鳥宮跡)で暗殺された入鹿の首が、ここまで飛んできたという言い伝えがあります。 他に、斬られた入鹿の首が鎌足を追いかけたため、鎌足は多武峰ま...
乙巳の変

飛鳥宮跡

飛鳥宮跡(あすかきゅうせき)は蘇我入鹿が乙巳の変で中大兄皇子らに討たれた地です。従来は第35代皇極天皇の宮として伝飛鳥板蓋宮跡(でんあすかいたぶきのみやあと)という名称でした。 調査により、第34代舒明天皇の飛鳥岡本宮(あすかのおかもとのみ...
乙巳の変

石舞台古墳

石舞台古墳(いしぶたいこふん)は巨石30個を積み上げて作られた、一辺50メートルの方墳で、日本最大級の横穴式古墳です。元は土を盛りあげて作った墳丘で覆われていましたが、その土が失われ、巨大な石を用いた横穴式石室が露出しています。 古墳最大の...
太子道〜厩戸皇子ゆかりの地

橘寺

正式名称は「仏頭山上宮皇院菩提寺」と称する天台宗の寺院です。寺伝よれば、この場所に橘の宮という第29代欽明天皇の別宮があり、そこで厩戸皇子が誕生したとされています。 聖徳太子建立七大寺の一つとされ、本堂には室町時代の聖徳太子座像(重要文化財...