保寿院(膳夫寺跡)

保寿院(膳夫寺)

厩戸皇子の最愛の后である膳夫姫(かしわてひめ)が養母を弔うため建立した膳夫寺(かしわてでら)の跡地として伝えられています。膳夫姫は天皇の食膳を担当した膳(かしわで)氏の出身で、一族は当地一帯に住んでいたといわれています。古くは食器の代わりに木の葉を使用していたことが、膳夫の地名の由来になっています。

膳夫姫の伝説を「かしはら探訪ナビ」のウェブサイトから引用します。

(ここから引用)

聖徳太子が行幸していた時、沿道の人々が太子をひと目見ようと人垣をつくっていました。その中でたった一人無心で芹(せり)を摘んでいる少女がいました。この少女を聖徳太子が不思議に思い、声を掛けたところ、少女は、「母親が病気で看病のために芹を摘んでいて、太子の行幸を見送ることができません。お許しください」と答えました。太子は少女の親孝行の気持ちに感心し、歌を1首贈りました。少女は太子に対して返歌を贈ったのですが、この返歌がすばらしかったので、太子は再び感心し、少女は後に太子の妃になったという伝説があるそうです。

(引用終わり)

膳夫姫は大阪府太子町にある磯長墓(しながのはか)に厩戸皇子とその母穴穂部間人皇女とともに葬られたとされています。

橿原市膳町101
0744-23-2261
JR万葉まほろば線香久山駅より徒歩15分


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